ある日、作家のみなさんが一日に書ける文字数について話しているのを見て思った話。
プロ作家になりたいなら一日一万字というのが作家界隈でバズってるようですが毎日一万字書けたらこんなに追い込まれてないからな!!! 仕事してきます!
— 箕崎准 (@MisakiJun) October 18, 2019
一日一万字書き続けられたら素晴らしいけど、それは技量の一つでしかなくてですね……。三日カンヅメして八行しか書けない大ベストセラー作家もいるのだから。
— 仁木英之・告知用 (@NikiHideyuki_2) October 18, 2019
でも速さ自慢したいよね……。してたしてた。
— 仁木英之・告知用 (@NikiHideyuki_2) October 18, 2019
確認したら昨日の生産文字数は約5000字でした。これはほぼ土屋の平均出力。文章を書く速度が上げられないか一時期試行錯誤してたけど、赤松中学先生が「その人の書く速度はDNAで決まってる」と仰っていて、赤松さんが言うならそうなのだろうと諦めた。実際キータイプより思考速度の問題な気がする>RT
— 土屋つかさ (@t_tutiya) October 18, 2019
「その人の書く速度はDNAで決まってる」というのはなるほどと思わされた。私自身、コーディングするのは早い方だが、文章を作成するのは遅い。きっと私のDNAで、文章を書くスピードはだいぶ抑え込まれているのだろう。
でも、結果はスピードだけに依存するものではない。最終的な”期間”と”品質”において、スピードはとても大きな要因にもなるけれど、クオリティだけで言えば時間をかければ追いつくことができる。ブログエントリ一つ書くのにも、ものの10分程度で書く人もいれば、数時間かかる人もいるが、どちらが良いかなんて執筆スピードだけでははかれない。
では早さ(スピード)とは何か。
最終的な期間は、早さと手戻りの量に依存する。どんなに早くても、何度も修正していては修正にばかり時間がかかってしまい、最初から丁寧に仕上げて一発OKをもらう人に負けてしまうこともあるだろう。早さがDNAで上限が決まっているとしたら、手戻りを減らす努力を繰り返すことでトータルスピードを縮めていくことができる。手戻りをしないことによって単純スピードが遅くても、それなりの早さで完成させることができる。もちろん早いことはとんでもない才能だ。多少の手戻りがあっても、取り返せるだけの時間があるのだから。成長できるだけの経験をより多く積めるのだから。
というのも今仕事でチームを組んでいるメンバーには、とても仕事が早いが品質が悪い人(Aさん)と、仕事はきっちりやってくるが必ずスケジュールを遅延させちゃう人(Bさん)がいる。AさんとBさんでどちらが良いかと考えた場合、私にとっては圧倒的にAさんの方を高評価してしまう。だって、品質悪くても手戻れる時間があるのだから。いずれ成長してくれればスケジュールを前倒せる。しかしスピードをアップさせることは無理過ぎる。本当、DNAで決まっているという意見には膝ポンするレベルで。なので最低限手戻りが全く起きないよう、常に見守っていなくてはならず、上司の負担が高いままである。
早さ。それは本人にとってはスキル上限が高いことであり、上司にとっても後からリカバリできると思えば安心して仕事を任せられることである。それは才能といっても過言ではないが、どれだけ大量に書き続けても全く面白くない人もいるので一概には才能とは言えない。せいぜい「得意だよー」と言う程度のレベルだ。そういえば、得意なものって着手するまでが早いな。得意だから早いのか、早いから得意なのか。まあどちらでも良いけれど、最近やっと仕事でCのコード読むのに慣れて早くなってきた気がしてとても楽しくなってきました♪
良いスピードで、良い人生を。
この手戻りの考え方、何か書きおぼえがあるなと思ったら「エンジニアに必要なスキルは」で書いていた。このとき田沢先生に学んだ考え方が体に染みついているのだなぁと思うと、さすが世界の田沢だと言わざるを得ない。
次は世界の田沢先生を絶賛するエントリ書くか…
— まなめ (@maname) October 23, 2019