まなめはうす

良いニュースで、良い人生を。

極振りしたスキルへの憧れ

ツイッターにこんなハッシュタグがある。

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これ、中高生頃に何かで見かけて、だいたいこんな感じのパラメタにした記憶が残っている。(HPと攻撃が逆だったかも)
 HP   5
 攻撃  10
 防御  85
 素早さ  0
ターン制であることを最大限に利用して受けて返す戦術だ。検索結果を見ると先制で一気に倒し切る人もいれば、バランス良く割り振る人もいる。システムに依存するが、ハマれば最強なのがパラメタの極振りだと、私は経験から思い込んでいるきらいがある。といっても、ゲームでの経験だけど。最近はボードゲームを良くやるが、ゲームによっては周囲に影響されず自分が最初に決めたルートを走り抜けるのが勝利への近道になるというのが私の持論である。まあボードゲームでは一人で勝ちに拘るような大会でもない限り楽しむことを優先するけれど。


mubou.seesaa.net

さてさて。しんざきさんのほどではないが、ささやかながらにスキル極振りしていた認識を持っている人は多いのではないだろうか。得意・苦手程度の差異を極振りとは言い難いが、得意なものに自信を加算させると極振りのような思えたりする。単に馬鹿の一つ覚えというか、それしかできないわけなのだが。私は、学生時代は数学だけなら自信があった。マーク式でも記述式でも満点を取れる自信があった。

滑り止めで受けた理科大は、数学200英語100のうち210点が合格ライン。数学(記述式)で満点を取れば、英語(マーク式)は全部ウでも受かるだろうという算段は成功した。
本命の国立大学も、二次試験が数学のみの大学を受けた。国立大学は私立大学と違ってバランス良くできないとダメな大学がほとんどの中、当時唯一数学一教科入試をやっていた大学があった。しかも、翌年から英語が科目に加わったので最後の一教科入試大学と言われたりしていた(最近は知らないが)。センター800+二次の数学600の配分で、自己採点では二次満点をとれたと思っている。数学科は変な奴の集まりみたいなことを言われるが、自分の大学は(私も含めて)その特徴が更に顕著だったかもしれない。


自分の自信のあることが受験科目にあったことは幸せなのだろう。しかし、数学は社会に出てからは武器にできないと、新しい武器を作らねばと焦った時期もあった。当時は「T字型人間」なんてワードが流行った時代で、その焦りは加速するばかりだった。私の唯一の単著でも「T字型情報収集」という単語使うほどに私には強く残っているワードである。他は劣っていてもたった一つの武器を磨いて切り抜けていく、そんな漫画も大好きだ。

今の自分の武器はなんだろう?もし転職するとしたら何をアピールするのだろうと考えると、中々に難しい。ネットでも仕事でも長らく同じことを続けてきたので、そこに自負はあるが、逆に言えばそれしかしてこなかったので客観的な評価ができずうまく言語化できておらず、もやもやしたままである。

良いスキルで、良い人生を。
何か一つ自信持てる武器を持った人は強いし、憧れる。そうありたいと思い直すなどした。