まなめはうす

良いニュースで、良い人生を。

Twitterのサードパーティーアプリ制限が悲しい

私がTwitterクライアントに求めること。
・流れていること
・時系列であること
・前回どこまで読んでいて、次どこから読めばいいか分かること(未読管理)

シンプルに言うとこれだけだと思う。
これさえ守られていれば、間に広告はさまれても文句は言わない。

・タブ振り分けができること(PC)
・リスト閲覧がしやすいこと(スマホ
・できるだけ取得漏れしないこと

理想言ってもこんなもんだと思う。

もちろん、これが米ツイッター公式が想定する使い方ではないってのも分かる。だって彼らはヘビーユーザを「週6~7日ログインし、週3~4回は自らツイートを発信する利用者」と定義しているくらいだから。ただ、常駐している人もいれば、たまにしか見ない人もいる。どっちでも楽しめるよう、サードパーティがその人に合った使い方ができるようなアプリを提供してくれていると思っている。私が更新している人気ツイートランキングだって、ツイッターに常駐できない人向けの情報発信と言えるだろう。クライアントを指定するということは、遊び方を限定することであり、自由度を奪うということだ。自由度を奪ったら常駐ユーザが離れてしまうのではないだろうか。使用頻度の低いユーザに話題を提供しようにも、話題を産み出す常駐ユーザがいなくなったら、ただの閑散でしかないのではないだろうか。

ツイッターの魅力はエンジニアのおもちゃだったことだと私は思っている。レベルEという漫画で、カラーレンジャー編に「楽しそうにゲームのシステムに不満を言い始めたら、はまる兆候」というシーンが私は大好きなのだが、初期Twitterの楽しさはこれだったと思っている。不満を自分で解消できたし、それを公開すると多くのユーザが楽しんでくれてありがとうと言ってもらえた。いろんな人が、こういう面白い使い方できるぜって方法をサービスで提供しあってきて、今のツイッターがある。だからこそ、サードパーティを奪うというのは、そうやって積み上げてきた工夫を捨てことのように思ってしまう。

利益のためというならば「サードパーティ使うのはTwitter Blueユーザ限定」じゃダメですか?
負荷のためというならば、画像投稿機能をなくすだけでもだいぶ負荷軽減されませんか?初心に返ってリプライとお気に入り以外の機能をすべて削除してみませんか?

こんなことを言いだしたくなるほどには悲しかったので、書き残してみました。

良いインターネットライフで、良い人生を。
2007年4月のTwitterブームから16年、私たちのインターネットライフに大きな変化が起きてしまうのでしょうか…